昔は「痴呆」という侮蔑的な言葉で呼ばれていました。
その呼称を「認知症」に変えた委員の一人が長谷川和夫医師。
ボクはやっと認知症のことがわかった
自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言
現状では症状を緩和し、抑制する薬はあります。
ただ、発症前の状態に戻すような治療薬はまだありません。
もしも自分の親が認知症になったら?
そんな心構えを得るには最適な本ですね。
一般向けの内容なので小難しくありません。
自ら患った認知症の専門医ならではの言葉
認知症になると、周囲はこれまでと違った人に接するかのように、叱ったり、子供扱いしたりしがちです。
だけど、本人にしたら自分は別に変わっていないし、自分が住んでいる世界は、昔もいまも連続している。
たしかに失敗や間違いは増えるけれど、認知症でない人でも間違えることはあるでしょう。
認知症になると、無視されたり軽んじられたり、途端に人格が失われたように扱われるのは、ひどく傷つきますし、不当なことです。
認知症だからといって何もかも分からなくなるわけではありません。
だから本人抜きに物事をパッパと決めちゃいけないんですね。
言葉にできなくても話していることは本人にも聞こえています。
「こうしましょう」といわれると、ほかにしたいことがあっても、それ以上は何も考えられなくなってしまう。
それは人間としてあるべき姿ではない。
だから「今日は何をなさりたいですか」という聞き方をしてほしい。
そして、できれば「今日は何をなさりたくないですか」といった聞き方もしてほしい。
私はいずれ死にます。
なにせヒトは致死率100%ですから。
常に明日死んでもいいように悔いが残らない生き方を心がけています。
以前、身内の方を不慮の事故で亡くされた患者さんが言っていた言葉が印象的でした。
「ヒトは病気でも事故でもなく、寿命で死ぬ」
その考え方に至るまでどれ程の葛藤があったことでしょう。
話を聞いてから命に対する捉え方が変わりました。